天下分け目のお肉の覇権争い 歴史編

天下分け目のお肉の覇権争い 歴史編

カレー編、肉じゃが編と辿ってきたお肉の覇権争い。

西の牛/東の豚と言われるほどに東西で好まれる肉が違うその理由は、歴史の中に秘密がにあるみたいなんです。

さあ、時を遡ってみましょう!

江戸時代まで遡ると……

江戸時代は幕府によって食肉が禁止されていたこともあり、
日本には日常的にお肉を食べる文化はほとんど根付いていませんでした。

とはいえ、滋養強壮の薬やたまのごちそうとして「ぼたん肉(イノシシ)」「もみじ肉(シカ)」といった山で採れる鳥や獣などがこっそりと食べられていたことはあったようです。

牛や馬といった家畜もいましたが、農耕や移動のための手段として飼育されていました。いわば、現代のトラクターや自動車のような存在だったのです。

明治時代になると……

明治時代になると欧米化の影響で
それまで禁止されていた食肉が解禁となり、日本中に食肉文化が広がり始めます。

西日本では

温かい西日本では稲作が盛ん。
水田を耕すためにパワーのある農耕牛が活躍していました。

農耕牛の飼育は、そのまま食用牛の飼育にシフト。
さらに、横浜の外国人居留地向けに牛肉の出荷が始まったことで、牛肉の価値が一気に高まりました。

外国人たちから高評価を受けたことで、国内でも牛肉の食文化が広まっていきます。

東日本では

広い畑を耕すために馬を使っていた東日本。
そのまま馬肉を食べる文化になるかと思いきや、馬は肉質が固く食べられる部分が少ないため食用としてはあまり好まれませんでした。

そんなときに文明開化の都市部の人口増加を背景に、飼育しやすい豚の需要が拡大してきます。
豚は繁殖力が強く成長も早いため、都市の食糧供給にぴったりだったのです。

雑食性のため人が出した残飯などを食べて育つという点も、大都市圏で豚の飼育が発展した要因の一つでしょう。

こうして、「西は牛、東は豚」という食文化の違いが生まれ、それぞれの食文化が花開いていきました。

現在では……

時代が進むにつれて流通が発展し、「この地域では牛が手に入らない!」「豚肉が食べられない!」なんてことはなくなりました。

とはいえ、明治時代に根付いた食文化は今もなお続いています。
スーパーや精肉店をのぞくと、地域ごとの肉の売れ行きに違いが見られるかもしれません。

ちなみに、ホルモンの好みに関しては、今でも東西で違いがあるみたいですよ。

さて、あなたの住む地域のお肉売り場には、どんなお肉が並んでいるでしょうか?
ぜひ見に行ってみでくださいね!


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